『横浜みなとみらいと山下公園・本牧周辺』
旅の思い出:横浜みなとみらいと山下公園・本牧周辺
私の生まれは横浜市内でした。この地に20数年暮らしたのちに、現在東京都内に住んでいます。横浜駅前は半世紀前から今尚工事が続いています。何でも2020年に工事完了の気配があったようですが、その後、横浜駅西口エリアの再開発が始まり、結果、まだ工事継続中のようで地元では21世紀中の工事完了は無理との声もあるようです。
以前なら工事完了を早く待ち望んでいましたが、今では何処まで工事が続き進化し続けるのか楽しみでもあります。
その中で、今回は子供の頃の記憶と現在の横浜観光をテーマに書き込んでみました。
< 横浜みなとみらいエリア >
横浜みなとみらいは横浜港の象徴の一つです。高くそびえたつホテル群や商業施設。そして様々なイルミネーションが施された大型観覧車がある遊園地などが所狭しとつらなっています。
そして、ここには以前、海洋大学などの教育に利用されていた帆船日本丸が引退しこの場所に駐留されています。現在国指定重要文化財に指定されていますが、内部公開や毎月、総帆展帆として帆が拡がる姿をみられます。
参考:帆船日本丸・横浜みなと博物館公式サイト
また、倉庫街を改造した赤レンガ倉庫には多くの店舗が連なり観光客を楽しませています。
<Photo>横浜みなとみらいエリア風景
昔からの横浜港の象徴といえば山下公園です。山下公園は、横浜港に面し全長770mの長さの国内初の臨海公園です。
2016年に再整備が終わり、以前、船留りの構造を花壇として再利用され、バラを中心に四季折々の花が楽しめます。また、昭和の初めに活躍した氷川丸が駐留され内部の見学もできます。さらに、『赤い靴を履いていた女の子』などの記念碑や歴史上の出来事を模したオブジェ。かつて灯台として利用されていたマリンタワーなど随所に見所満載です。
<Photo>マリンルージュからの船外風景
<参考情報>
横浜駅を降りて、東口のそごうデパートへ入っていくとシーバス乗り場があります。このシーバスで、赤レンガ倉庫などを中継しつつ山下公園に海上移動できます。また最近では、桜木町駅と横浜ワールドポーターズを5分で結ぶロープウェイ(横浜エアーキャビン)も新たなアトラクションとして話題で大人気です。
シーバス&マリンルージュ情報
https://yokohama-cruising.jp/index.php
横浜エアーキャビン
https://yokohama-air-cabin.jp/
「関東大震災の震災復興事業で生まれた臨海公園」
横浜で最も有名な公園です。関東大震災のがれきを埋め立てて作られました。海への眺望、沈床花壇のバラ、歌碑や記念碑など見どころの多い公園です。昭和5年3月に開園した山下公園は、横浜の公園の中で一番知られているといってもよいでしょう。関東大震災の復興事業として市内の瓦礫などを大正14年から4年がかりで埋立て、上部を良質な土で覆土して造成が行われ、公園の基本的な形ができあがりました。当時は、現在の沈床花壇の部分が船溜まりになっており、現在も氷川丸の横にある小さな橋がそのなごりをとどめています。開園5年後の昭和10年3月には復興博覧会が行われ、その船溜まりでは鯨が泳ぎ、今でいうパビリオンが建ち並び、たいへんな賑わいを見せたそうです。戦後は米軍に接収されましたが、昭和29年から段階的に解除され、昭和36年には再整備が完了し、ほぼ現在の姿となっています。その後、昭和63年に行われた横浜博覧会に合わせ、公園の東側に地下駐車場と上部の公園を整備しました。人形の家の設計を行った坂倉設計の協力により、6つの大陸へのびる道をデザイン化した世界の広場と、バルセロナのグエル公園を想わせるカスケードのある楽しい大階段などが整備され、新しい魅力をつくっています。
山下公園には、数多くの記念碑などがありますが、代表的なものはサンディエゴ市から贈られた「水の守護神」、童謡で馴染みの深い「赤い靴はいてた女の子像」、「かもめの水兵さんの歌碑」などです。
公園の西端には在日インド人協会から昭和12年に寄贈されたインド水塔があります。横浜市の4代目建築課長鷲巣昌氏により設計され、細部まで緻密なデザインのこのモニュメントは、横浜の近代建築として価値の高いものです。なお、当該公園用地は、国有地の無償貸付を受けております。横浜市公式サイトより(https://www.city.yokohama.lg.jp/)
< 横浜港 大さん橋 国際客船 ターミナル >
定期的に多くの外国客船が入港します。思い出すのがクイーンエリザベス2世号。この船は当時桁違いの大きさでした。現在の3世は洋上のホテルという感じですが、細長い姿は、大さん橋の中で写真を撮ると、カメラアングルに入りきらず、悪戦苦闘した思い出があります。
現在、クイーンエリザベス2世号はドバイを拠点にランチ営業や船内見学などができるようです。
参考:豪華客船クイーンエリザベス2世号のランチ&船内見学コース
現在のクイーンエリザベス3世は世界の洋上をクルージング中です。
参考:クルーズのゆたか倶楽部
< みなとみらい・山下公園以外にも・・・>
隣接する国内最大級の中華街。外国人居留地の名残を残し、海を見下ろす「港の見える丘公園」。その他「元町」「本牧三渓園」なども見所です。
<Photo>港の見える丘公園、外人墓地周辺
< マリンタワー >
山下公園に隣接するシンボルタワーです。現在は中止されていますが、昔は灯台の役割もはたしていました。今はグレー一色ですが、以前はオレンジと白のコントラストが施された鮮やかな塔でした。昭和や平成の最初の頃、横浜市内の小学校の遠足の定番でした。タワーの上に昇ると灯台としての大きなライトが印象的でした。
==マリンタワー公式サイト==
http://www.marinetower.jp/
※改修工事のため全館休業中(営業再開は2022年度以降の予定)
<港の見える丘公園>
横浜港を見下ろす小高い丘にある公園。横浜ベイブリッジを望む絶好のビューポイントです。港の見える丘公園の「イングリッシュローズの庭」は、横浜でも有数のバラの名所です。イングリッシュローズをテーマに一年草と宿根草との混植のガーデンとなり、四季を通していろいろなバラや草花が咲き競います。また、沈床花壇「香りの庭」や横浜市イギリス館から山手111番館の後庭を結ぶ「バラとカスケードの庭」では、地形を活かしながら四季を通してバラや草花、花木の香りと彩りを楽しむことができます。
バラの見頃は、春と秋の2回。それぞれ5月中旬から6月中旬と10月中旬から11月中旬がバラの最盛期です。
横浜観光情報公式サイトより(https://www.welcome.city.yokohama.jp/)
<Photo>横浜中華街とレンガ倉庫でのイベント
現在も母親は横浜市内に住んでいます。ですので家族のイベントなどにはいつも中華街を利用し、私達に欠かせない場所のひとつです。
< 思い出の本牧市民公園 >
昭和44年(1969年)に本牧市民公園が横浜市中区本牧にできました。
主な施設は「本牧市民プール」「三渓園」「本牧市民公園」です。
本牧市民公園はテニスコートや上海横浜友好園、蒸気機関車の展示、などを含む大規模施設です。(現在は蒸気機関車の展示のみになります。)
本牧市民公園に隣接する施設に三渓園や本牧市民プールがありました。
本牧市民プールは大噴水のあるの大プールと、幼児プールがあり、直下型のウォータースライダーが大人気でした。横浜市営バスなどを利用すると割引券がもらえるため、おおくの家族がバスを利用し市民プールは大賑わいでした。2016年に老朽化などを理由に営業休止になっているようです。
現在は、「本牧市民・臨海公園」として再整備され市民憩いの場所です。
参考:本牧市民・臨海公園
再開発が続くなかでも、三渓園は以前の姿を残し、今でも季節の花々が咲き誇り、季節ごとに多くの観光客が現在も訪れられています。
<三渓園>
三溪園は生糸貿易により財を成した実業家 原 三溪によって、1906年(明治39)5月1日に公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。(現在、重要文化財10棟・横浜市指定有形文化財3棟)東京湾を望む横浜の東南部・本牧に広がる広大な土地は、三溪の手により1902年(明治35)頃から造成が始められ、1914年(大正3)に外苑、1922年(大正11)に内苑が完成するに至りました。三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場ともなり、前田青邨の「神輿振」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。その後、戦災により大きな被害をうけ、1953年(昭和28年)、原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に、財団法人三溪園保勝会が設立され、復旧工事を実施し現在に至ります。
三渓園公式サイトより(https://www.sankeien.or.jp/)
その他にも、横浜みなとみらいエリアは次々と新しい施設が誕生し、遊び尽きない場所です。
コロナ禍が収束しましたら、また訪れたい街の一つです。