東海道五十三次5(宮宿~三条大橋)
前回の歌川広重の浮世絵に関する東海道五十三次に於いて、40番目の宿場町・鳴海まで記載させて頂きましたが、今回はその続きを記載させて頂きます。
<基準>
1里=36丁=2160間
1里=3627.27m
宮宿(尾張国・愛知郡)
日本橋より41番目の宿場
現在地:愛知県名古屋市熱田区
前宿より1里半(5.9km)
累積:日本橋より約399.3km
広重の絵には熱田神宮で行われる神事・夜の馬追いが描かれています。《現在のPhoto》は、熱田神宮の本宮です。広重の絵には馬追いの様子が描かれていますが、実際にはそのような神事は無く御馬献上の様子が広重風の表現のようです。
桑名宿(伊勢国・桑名郡)
日本橋より42番目の宿場
現在地三重県桑名市
前宿より7里(27.51km)
累積:日本橋より約367.44km
ここから三重県に入ります。桑名城の城下町で、伊勢の海を船が往来する様子が描かれています。《現在のPhoto》は、七里の渡跡(桑名の渡し)と桑名城跡の蟠龍櫓の風景です。
四日市宿(伊勢国・三重郡)
日本橋より43番目の宿場
現在地:三重県四日市市
前宿より3里8丁(10.58km)
累積:日本橋より約378.02km
三滝川を背景に、強い風の中、笠を飛ばされている旅人や、合羽のたなびく旅人が描かれています。《現在のPhoto》は、御在所岳を背景に現在の三滝川の様子です。写真にはありませんが、広重の絵には、この川に掛かる三滝橋を描いていると云われます。
石薬師宿(伊勢国・鈴鹿郡)
日本橋より44番目の宿場
現在地:三重県鈴鹿市
前宿より2里27丁(10.8km)
累積:日本橋より約388.82km
林の中にある石薬師寺(正式名称は西福寺)が描かれています。山を三段に描き遠近を表しています。《現在のPhoto》は、旧東海道沿いにある石薬師寺です。参勤交代する大名が必ず参詣していたそうです。広重が描いた遠景の山々は実際にはみえず、熊野方面の山々を想像で描いたようです。
庄野宿(伊勢国・鈴鹿郡)
日本橋より45番目の宿場
現在地:三重県鈴鹿市
前宿より27丁(2.95km)
累積:日本橋より約391.77km
夕立の中、坂道を走る人々が描かれています。雨の音、足音、躍動感を感じさせるこの絵は、広重の傑作のひとつです。《現在のPhoto》は、広重の絵とは雰囲気が全く異なりますが、現在の東海道沿いにある、鈴鹿川緑地の様子です。
亀山宿(伊勢国・鈴鹿郡)
日本橋より46番目の宿場
現在:三重県亀山市
前宿より2里(7.86km)
累積:日本橋より約399.63km
亀山宿の晴れの日の雪景色の美しさを描いた一枚です。《現在のPhoto》は、雪に覆われた東海道沿いにある亀山宿の様子です。この亀山城は伊勢亀山城の城下町でした。周辺には二之丸北帯曲輪が現存し城の面影が残ります。亀山市歴史博物館で城下町のジオラマなどを観ることができます。
関宿(伊勢国・鈴鹿郡)
日本橋より47番目の宿場
現在地:三重県亀山市
前宿より1里半(5.9km)
累積:日本橋より約405.53km
早朝に本陣(大名が泊まる格式の高い宿)から出発する様子です。《現在のPhoto》は、現在の関宿・伊藤本陣跡の正面です。伊東本陣は川北本陣と並び、関宿の中心的な役割を果たしていたそうです。
坂下宿(伊勢国・鈴鹿郡)
日本橋より48番目の宿場
現在地:三重県亀山市
前宿より1里24丁(6.55km)
累積:日本橋より約412.08km
筆捨山が主体に描かれています。筆捨山は岩山ですが所々に松が描かれています。右側には茶屋があり、休む人々が描かれています。《現在のPhoto》は、現在の筆捨山です。奇岩怪石の多い山で有名です。昔、狩野法眼元信という画家がこの山を描こうとした際に、山の姿の変化が激しくて描けずに、筆を捨てたと云ういきさつから筆捨山と名前が付いたとされています。
土山宿(近江国・甲賀郡)
日本橋より49番目の宿場
現在地:滋賀県甲賀市
前宿より2里半(9.83km)
累積:日本橋より約421.91km
ここから近江国です。雨で水かさの増した中、橋を渡る大名行列が描かれています。《現在のPhoto》は、現在の田村川の海道橋です。田村川は、淀川(琵琶湖)水系野洲川支流の一級河川です。
水口宿(近江国・甲賀郡)
日本橋より50番目の宿場
現在地:滋賀県甲賀市
前宿より2里25丁(10.25km)
累積:日本橋より約432.16km
この地域の名産である干瓢を作っている女性を描いています。のどかな村の様子が表現されています。《現在のPhoto》は、旧東海道水口宿の町並みです。当時は水口城の城下町として栄え、水口城跡や高札場跡などの歴史を感じる史跡が残ります。
石部宿(近江国・甲賀郡)
日本橋より51番目の宿場
現在地:滋賀県湖南市
前宿より3里12丁(13.09km)
累積:日本橋より約445.25km
平坦な道が続く街道です。この街道を歩くのは伊勢参りの人々です。田楽茶屋が描かれています。《現在のPhoto》は、石部の町並みの遠景です。伊勢参宮街道との分岐点としてかつては賑わいのある町で、今でも「田楽茶屋」の無料休憩所が整備されているそうです。
草津宿(近江国・栗太郡)
日本橋より52番目の宿場
現在地:滋賀県草津市
前宿より2里25丁(10.58km)
累積:日本橋より約455.83km
中山道との合流地点である追分の宿場です。名物の姥ヶ餅屋を描いています。《現在のPhoto》は、東海道と中山道の分かれ目の追分としての道標史跡が残っています。
大津宿(近江国・滋賀郡)
日本橋より53番目の宿場
現在地:滋賀県大津市
前宿より3里24丁(14.4km)
累積:日本橋より約470.23km
東海道53番目の宿場で東海道最大の宿場です。琵琶湖畔にあり、手前に走井茶屋が描かれています。《現在のPhoto》は、旧東海道・大津宿の現在の街並みです。歌川広重の近江八景や当時の大津宿の賑いなどを展示した、大津市歴史博物館などがあります。
三条大橋(山城国・愛宕郡)
現在地:京都府京都市東山区
前宿より3里(11.79km)
累積:日本橋より約482.02km
江戸からの最終地点である三条大橋です。橋の上を人々がにぎやかに往来する様子が描かれています。《現在のPhoto》は、東海道五十三次の終点・現在の三条大橋の様子です。昔も今も多くの人々で賑わっています。
日本橋から京・三条大橋までの東海道五十三次シリーズを長々と読んでいただきありがとうございました。感謝申し上げます。今後ともよろしくお願いいたします。