短編小説『AI(愛)』
短編小説:『AI(愛)』
母は今日も静かに寝っている。
何も無い、真っ白な部屋の中央に、
母が立ったまま、浮いている。
素肌に薄いベールの様なものを、
纏った母は、今日も相変わらず綺麗だ。
浮いている母に手を翳すと、タッチパネルが現れ、
西暦2030年12月24日という文字が表示される。
日付の下に表れた、十字矢印の左をタッチする。
瞬間、海中に部屋中がダイブすると、
目の前をシロナガスクジラが、ゆき過ぎる。
母は今、海の夢を見ているらしい。
母が冷凍保存されてから20年。
僕はもう、母をお母さんと呼ぶには、
年を取りすぎていた。
そして。僕は先程、父を殺してきた。
殺す?というよりは、
壊してきた、という方が正解なのだが。
父は医者だった。
そんな父は、母を冷凍保存してからすぐに、
母と共に生き返る為、脳だけを人工知能、
いわゆるAIに移植して、体を廃棄していた。
父を破壊するのは、相当骨の折れる作業だった。
幾重にも張り巡らされたトラップを避けながら、
セキュリティーをハッキングしまくった。
けれど。最後は思いがけなく、呆気無かった。
父だったAIは、僕に、こう聞いてきた。
「私を好きだったか?」と。
僕は迷わず、こう答えた。
「大嫌いだ。早く消えてくれ。」と。
その返事を聞いた父は、完全に思考を停止した。
何故、父を破壊するに至ったか。
母は病気だった。
現代医学では治せず、未来に託されていた。
そんな母の体も、
冷凍保存させておくのが、もう限界だった。
そして。父は母の脳を取り出し、
AIに繋ごうとしていた。イヤだった。
その作業を。母の体にメスを入れる事を、
父は僕に、頼んできたのだ。
僕も医者だったからだが、
美しい母を傷付ける事は、どうしても出来なかった。
そして。僕は今、
母を本当の眠りにつかせる為に、ここにいる。
母の装置を壊すのは、恐ろしいほど簡単で。
十字矢印の上をタッチする。ただそれだけだった。
父はたぶん、母の脳の移植を、
僕がするものと考えて、こうしたのだろう。
「大好きだよ。母さん。」
僕はそう言うと、タッチした。
突然、
部屋中がハウリングを起こしたように、共鳴する。
もの凄い耳鳴りと共に、
フラッシュバックした映像が、視界に飛び込んでくる。
そこに写っていたのは、
若い頃の母と、一歳くらいの子供だった。
一瞬、
母に抱かれている僕かとも思ったけれど、
どうやら子供は女の子らしい。
そして、走馬灯のように、
ひとコマひとコマ、映像が変化してゆく。
ちょうど子供が小学生になる頃に、
時間が進み、誰かの葬式の場面がくる。
イヤな予感がしつつ、棺の中を覗き込むと、
やっぱり。あの少女だった。
そこから場面が、
グニャリと歪み、吐き気をもよおすほどに、
グルグルと天井が、回転しだした。
それから。泣き叫ぶ母の声がしてくる。
「アイ。」と聞こえた。
僕の名前だ。
男なのにアイという名が、
しっくりこなかったのを思い出す。
急に思考がクリアになってきた。
母には子供は一人しかいないと聞いていた。
なのに女の子?
僕は母の子供ではないという事だろうか。
では、誰の子供なのか?
そんな事を考えながら、
目の前に横たわった母を見る。
美しかった母が、見る影もない程の姿になっていた。
今、脳を取り出せば、まだ間に合う。
一瞬そう思ったけれど、やめた。
もう。自分が誰なのか?
という事だけが、気になっていた。
母の部屋を飛び出すと、自分の部屋へと向かう。
ドアを開けて、中に入り、違和感を感じる。
生活感が、まったく無い室内。
僕は、いつから食事をしていない?
いや、そもそも“食事をした事”があるのか?
こわい、こわい、こわい。
鏡を探すが見当たらない。
イラッとして、左手をテーブルに向って、
振りかぶるように、叩き付ける。
ガシャンと、大きな音と共に、破片が飛び散る。
そう。破片だ。痛みも何も無い。
先が無い、グチャグチャになって、
配線のようなものが出た、左手を見下ろす。
「なんだ。僕の体は、機械だったのか・・・」
ボソリと呟く。
もう、何もかも、どうでもいい。
そう感じた時。
20年間、一時も忘れる事の無かった、
愛おしい母を思い出した。
自分は母を生かす為だけに、
造られたモノなのかもしれない。
けれど。
僕は、母を愛してもいいんだ。
何故なら。
僕は、母の実の子供じゃないんだから。
そんな事を思いながら、母のもとへ急ぐ。
やがて。母だった者を抱き起こしながら、
僕はこう言葉を告げる。
「僕なんか大嫌いだ。早く消えてくれ。」
ブンッ、
という音と共に、室内が静寂に包まれる。
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