『歴史散歩東海道五十三次 1(日本橋~箱根宿)』

東海道五十三次の宿場町とおおよその累積距離などを記載しました。第一弾は日本橋から箱根です。そして歌川広重の浮世絵(保永堂版)は抽象的に掛かれてる絵が多いといわれますが、極力近い写真等を掲載してみました。たまに浮世絵と写真が全く違う場合がありますが、ご容赦下さい。


東海道五十三次の作者『歌川広重』とは。

江戸時代後期にあたる寛政9年(1797年)に江戸の定火消同心の家に生誕。

文化6年(1809年)2月に母を亡くし、同時に父が隠居。数13歳で父の定火消同心の職を継ぎます。

文化8年初代歌川豊国の門をたたきますが、満員で断られ、そこで歌川豊広(1774年-1829年)に出会い。15歳の時に歌川豊広の門下生となります。

翌年(1812年)に師と自分から一文字ずつとって歌川広重の名を与えられ、文政元年(1818年)に一遊斎の号を使用しデビュー。始めは役者絵から出発し、やがて美人画に手をそめたが、文政11年(1828年)師の豊廣没後は風景画を主に制作。

文政4年(1821年)に、同じ火消同心の岡部弥左衛門の娘と結婚。

文政6年(1823年)には、養祖父(安藤家)方の嫡子仲次郎に家督を譲り、自身は鉄蔵と改名しその後見となる。しかし、まだ仲次郎が8歳だったので引き続き火消同心職の代番を勤めた。

天保3年(1832年)35歳の時に仲次郎が17歳で元服したので、同心職を譲り、絵師に専念します。この年、公用で東海道を上り、絵を描いたとされ、翌年から「東海道五十三次」を発表。風景画家としての名声は決定的なものになりました。

以降、種々の「東海道」シリーズを発表。各種の「江戸名所」シリーズも多く手掛けています。

安政5年没。享年62。
死因はコレラと伝えられています。
墓所は足立区伊興町の東岳寺。法名は顕功院徳翁立斎居士。



<基準>
1里=36丁=2160間
1里=3627.27m

日本橋(武蔵国・豊島郡)

現在:東京都中央区
起点 0km

「日本橋」は、東海道五十三次のスタート地点であり、江戸時代における東海道の起点でした。この浮世絵では、日本橋の風景が描かれており、当時の賑わいや商業の活気が伝わってきます。《現在のPhoto》は現在の日本橋付近の風景です。

日本橋 朝之景
《現在のPhoto》現在の日本橋付近

現在かかる日本橋中央付近に街道の起点(0km)を示す標識が埋め込まれています。

五街道の起点として、日本の中心だった「日本橋」
1601年(慶長6年)、江戸幕府により、江戸と各地を結ぶ東海道・甲州街道・奥州街道・日光街道・中山道が順次整備され、1604年(慶長9年)、日本橋がこの重要街道の起点として定められました。

まち日本橋Webより引用

品川宿(武蔵国・荏原郡)

日本橋より1番目の宿場
現在地:東京都品川区
日本橋より2里(7.85km)
累積:日本橋より約7.85km

広重の「品川宿」の絵には、宿場町の賑わいや交通の要所としての機能が描かれています。宿場町の街並みや宿場の建物、旅人や商人たちの姿が描かれ、当時の品川宿の活気と賑わいを伝えています。《現在のPhoto》は旧東海道の品川宿あたりの風景です。以前は東海道のそばには海が広がっていましたが、現在は埋め立てられ、街並みが広がっています。

品川 日之出
《現在のPhoto》旧東海道品川宿あたりの風景

川崎宿(武蔵国・橘樹郡)

日本橋より2番目の宿場
現在地:神奈川県川崎市川崎区
前宿より2里半(9.83km)
累積:日本橋より約17.68km

川崎宿は当初宿場では有りませんでしたが、品川宿から神奈川宿の区間が長距離だった為、後から配置されました。広重の描く「川崎宿」では、川の渡し(多摩川)が描かれています。《現在のPhoto》は川崎市側から見た多摩川と六郷川橋梁です。昔は橋がなかったので、渡し船で川を超えるのが主流でした。多摩にはいくつもの渡し舟が存在し、旧街道付近では、「友田の渡し」と「小作の渡し」があったと云われています。

川崎 六郷渡舟
《現在のPhoto》川崎市から見た多摩川と六郷川橋梁

神奈川宿(武蔵国・橘樹郡)

日本橋より3番目の宿場
現在地:神奈川県横浜市神奈川区
前宿より2里半(9.83km)
累積:日本橋より約27.51km

品川宿に構図がにていますが江戸から離れ、のどかな雰囲気で茶屋の街並みが描かれています。《現在のPhoto》は現在の国道1号線で、神奈川宿付近の風景です。こちらも海の埋め立てが進み、付近はビル等で埋め尽くされています。

神奈川 台之景
《現在のPhoto》神奈川二丁目付近の風景

保土ヶ谷宿(武蔵国・橘樹郡)

日本橋より4番目の宿場
現在地:神奈川横浜市保土ヶ谷区
前宿より1里9丁(4.91km)
累積:日本橋より約32.42km

武蔵国最西端の宿場です。帷子川(かたびらがわ)に掛かる新橋を主体に自然豊かな街並みが描かれています。《現在のPhoto》は保土ヶ谷区を流れる帷子川です。広重の浮世絵にもある新橋(改修)から観た街並みです。保土ヶ谷橋付近には本陣跡も現存します。毎年正月に行われる「東京箱根間往復大学駅伝競走」では第2区として区間最長距離の上、保土ヶ谷橋を過ぎると権太坂の長い上り坂がランナーを苦しめます。

保土ヶ谷 新町橋橋
《現在のPhoto》新橋から見た帷子川
《現在のPhoto》保土ヶ谷本陣跡

戸塚宿(相模国・鎌倉郡)

日本橋より5番目の宿場
現在地:神奈川横浜市戸塚区
前宿より2里9丁(8.84km)
累積:日本橋より約41.26km

相模国の入口。小田原宿に次ぐ規模の宿場町。日本橋より1泊目にあたり、宿に向かう旅人が描かれています。《現在のPhoto》は旧東海道の風景の道のりです。保土ヶ谷宿から権太坂を登り、戸塚方面へ向かう道です。

戸塚 元町別道
《現在のPhoto》旧東海道の風景(権太坂付近)

藤沢宿(相模国・高座郡)

日本橋より6番目の宿場
現在地:神奈川県藤沢市
前宿より1里30丁(7.2km)
累積:日本橋より約48.46km

この浮世絵に大きく描かれているのは江島神社の一の鳥居です。この頃、江の島詣はお伊勢参りに匹敵する参詣地として庶民に人気の旅先でした。《現在のPhoto》は江ノ島入口にある青銅の鳥居です。昔も今も人気の「江の島詣」昔は伊勢参りに匹敵する人気だったようですが、その人気は今でも変わりなく続いています。

藤沢 遊行寺

《現在のPhoto》江ノ島の入口にある青銅の鳥居
《現在のPhoto》現在の遊行寺付近

《現在のPhoto》江島神社の竜神様

平塚宿(相模国・大住郡)

日本橋より7番目の宿場
現在地:神奈川県平塚市
前宿より3里半(5.25km)
累積:日本橋より約53.71km

このあたりは相模平野として平坦な道が続いています。手前に大きな山を描き、遠くに富士山が見え隠れする遠近をうまく利用しています。《現在のPhoto》は旧東海道沿いの平塚宿へ向かい街道にある広重の浮世絵にも描かれて松です。

平塚 縄手道
《現在のPhoto》東海道(旧東海道)
平塚宿京方見附と東海道平塚宿石碑と町並み

大磯宿(相模国・綾郡)

日本橋より8番目の宿場
現在地:神奈川県中郡大磯町
前宿より27丁(2.94km)
累積:日本橋より約56.65km

大磯宿は大雨の様子が描かれています。雨に濡れる東海道の様子が描かれています。《現在のPhoto》は

大磯 虎ヶ雨
《現在のPhoto》東海道(国道1号線)
松並木と大磯宿上方見附案内板

小田原宿(相模国・足下郡)

日本橋より9番目の宿場
現在地:神奈川県小田原市
前宿より4里(15.72km)
累積:日本橋より約72.37km

小田原には小田原城が有り、江戸を出発してから最初の城下町になります。この川(酒匂川)には橋が無く難所のひつといわれています。《現在のPhoto》は酒匂川(さかわがわ)。静岡県御殿場市の富士山東麓の源流から神奈川県に流れる二級河川です。神奈川県では相模川に続く重要な河川で、水田などの農業用水などに利用されています。

小田原 酒匂川
《現在のPhoto》優雅に流れる酒匂川

箱根宿(相模国・足柄下郡)

日本橋より10番目の宿場
現在地:神奈川県足柄下郡箱根町
前宿より4里8丁(16.89km)
累積:日本橋より約89.26km

東海道五十三次の中では最も標高が高い宿場です。険しい山々は東海道中でトップを争う難所として有名です。《現在のPhoto》は芦ノ湖と箱根の関所です。箱根の宿場町は箱根峠越えをして、標高725mの場所(神奈川県足柄下郡箱根町)にあり、東海道五十三次のなかでは一番高い場所にありました。杉並木を通り、険しい山道を歩き進みます。この先に関所も待ち構えています。

箱根 湖水図
《現在のPhoto》箱根関所跡・富士と芦ノ湖と箱根の関所、
江戸の頃から変わらない眺め
《現在のPhoto》旧東海道 箱根宿の杉並木
《現在のPhoto》箱根の関所跡
《現在のPhoto》畑宿の道祖神

今回は出発地・日本橋~10番目の宿場町・箱根宿まで書かせて頂きました。

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